1953年のロック
台風です。また台風です!
こちら福岡は大荒れでございます。
※先週の話
1953年のロック界も大荒れでございました。
1953年のロックのハイライトはブルースでした。このままブルースが市民権を得ると思いきや、直ぐにエルヴィス・プレスリーがデビューし、ビル・ヘイリーがブレイク。ロカビリーに後出しジャンケンで敗れてしまいます。
当時は黒人がヒット曲を出しても、それはあくまでも黒人コミュニティ内で完結しており、全国区では認知されていませんでした。
ビル・ヘイリーの「クレイジー・マン・クレイジー」はロックンロールが初めて全国的なヒットとなった曲ですが、ビッグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」は3年後にプレスリーがヒットさせた事でプレスリーの曲になってしまいました。
その事情を頭に入れておくと、この年のロックソングには哀愁が漂っている気がしますよね。
1950年代中盤頃まで、黒人コミュニティでヒットした曲は、数週間後に白人がカバーして全国ヒットになるのが常でした。
Hound Dog - Big Mama Thornton
ビッグ・ママ・ソーントンは1926年にアラバマで生まれました。アラバマ州は歴史的に白人中心の州議会が存在しており、アフリカ系アメリカ人にとって肩身の狭い州でした。
そこで育った彼女は恵まれた体格と力強い歌声を持ち、黒人フェミニストの象徴という面も持っていました。
「ハウンド・ドッグ」は所謂スラングで、"女たらし"という意味を持ち、だらしない男達への反逆歌として、黒人コミュニティで大ヒットしました。
同年、ルーファス・トーマスがアンサーソングとして、「ベア・キャット」を発表します。この曲は成功したアンサーソングの初期の例です。
Things That I Used to Do - Guitar Slim
ブルースに哀愁を感じるのは日米共通です。50年代のブルースは電気を作用した大音量化が進み、重たく激しい音を奏でていました。しかし、上の項で述べた通り、黒人コミュニティのみの話でした。
白人コミュニティではカントリーが根強い人気を持っており、同様に電気化の波が押し寄せていました。
ブルースが重たく激しい音を趣向していたのに対し、カントリーは軽快で優しい音を趣向していました。
その流れの中で誕生したロックンロールとロカビリーはブルースやカントリーを前時代的な物と捉え、特にブルースは黒人の物であったため、ブリティッシュ・インヴェイジョンの時代まで表舞台から姿を消します。
ギター・スリムのこの曲はR&Bチャートの首位を獲得し、ブルース時代の到来を告げるはずでしたが、実際は歴史の示す通りです。
Kaw-Lige - Hank Williams
カウ・ライジャは木彫りのインディアン人形です。彼は向かいに飾ってある骨董品の人形に恋をします。彼は毛皮にトマホーク、彼女は可愛いおさげ髪。でも二人は人形。心の中で想っていても口にする事は出来ません。ある日、お金持ちが向かいの店を訪ねます。彼女はお金持ちに買われてしまいました。カウ・ライジャは彼女を助ける事も、涙を流す事も出来ません。ただただ立ち尽くす事しか出来ませんでした。
という物語が「カウ・ライジャ」です。
この曲は木彫りのインディアン人形の悲しみを歌った曲ですが、インディアンと白人の叶わぬ恋の比喩でもあります。
1953年の1月1月にハンクは薬物摂取による心臓発作で亡くなってしまいますが、死後すぐに発表されたこの曲で、カントリーチャートの首位を獲得します。
そんなハンクですが、彼は楽譜の読み書きが出来ず、天才肌のミュージシャンであった事がわかります。彼の楽曲は次世代のミュージシャンに影響を与え、ロックの殿堂にも選ばれています。
Soul On Fire - LaVern Baker
ソウルミュージックはリズム・アンド・ブルースの中でもゴスペル色が強く、50年代に生まれ60年代後半から表舞台に躍り出た新世代のブラックミュージックの一つでした。
時代毎に言葉の意味合いが変化しているため、二つの特徴を挙げます。
- ゴスペル由来の歌唱
- R&Bよりも聴きやすい物が多い=大衆的
以上が全世代的に言えるソウルの特徴です。
大衆的とは文化の壁を超えて受け入れられた黒人音楽の事をソウルミュージックと称していた為です。
一部にはソウルミュージックを白人文化に擦り寄った黒人音楽と捉える見方があり、リズム・アンド・ブルースという名称が本物の黒人音楽という意見があります。
1953年にリリースされた、「ソウル・オン・ファイア」はラヴァーン・ベイカーのデビュー曲で、まだソウルミュージックというジャンルがない時代の曲ですが、ソウルミュージックの古典として親しまれています。
また、この盤にも収録しているレイ・チャールズはソウルミュージックの始祖として知られています。
Money Honey -
Clyde McPhatter and the Drifters
ドゥーワップは1950年代にロックンロールと共に全盛を極めた若者文化でした。黒人文化のイメージが強く、実際そうなのですが、白人グループも多くおり、日本でもムード歌謡に見られる形で輸入されています。
ドゥーワップの特徴は若者へ向けたストレートな歌詞です。スラング混じりで難しい言葉を使用しないのは貧しく楽器も買えないという状況から発生したジャンルであるのが理由でしょう。
ドリフターズはクライド・マクファターを中心に結成され、メンバーの入れ替わりが活発なグループでした。デビュー曲となる「マニー・ハニー」の意味は"金に目がない彼女"で、これもスラングです。
1953年のロック
1953年のロックを総括すると、ハンク・ウィリアムスの薬物中毒死から始まり、ビル・ヘイリーの躍進、ロックンロールのスタンダードとなる「ハウンド・ドッグ」「マニー・ハニー」「ハニー・ハッシュ」等が産まれ、ロックンロール黄金時代の到来を感じさせる年であると言えます。ソウルミュージック、ドゥーワップの歴史も始ました。
次回、1954年はロックンロール史上最大の重要曲が登場します。