WORLDWIDE ROCK

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ビル・ヘイリーと彼のコメッツ

ロックンロールが世間に認知されたのは1955年7月9日ビルボードチャートで首位を獲得した「Rock Around The Clock」による功績が真っ先に挙げられます。

 

この曲は前年の1954年5月15日にリリースされた曲で、ソニー・デイと彼のナイツとの共作(こちらは同年の3月に発売でこちらがオリジナル)でした。

 

ビル・ヘイリーは1940年代にカントリーバンドのギタリストとして、数々のバンドを渡り歩きます。

 

1948年には自身がリーダーとなるバンド「ビル・ヘイリーとフォーエイセス」を結成。数枚のレコード(いずれもカントリー・ミュージック)を出すもののヒットせず。売れないバンドとしてレコード会社を転々とします。

 

1950年にはバンド名を「サドルメン」に変更し、ロックンロールの初期作品「Rocket 88」を含むRhythm and Bluesを録音します。

 

その中でも1952年にリリースされた「Rock The Joint」のソロは「Rock Around The Clock」のソロと殆ど同じ(おそらく後者が引用)ということで、物議を醸します。

 

Rock the Joint

Rock the Joint

  • ビル・ヘイリーと彼のコメッツ
  • ポップ
  • ¥250

 

似ている曲は他にもあり、特に有名なのがホンキートンクの大物ハンク・ウィリアムスの代表曲「Move It On Over」です。この曲はロカビリーの初期作品とも言われています。

 

 

奇妙なのはハンク・ウィリアムス死の翌年に「Rock Around The Clock」がリリースされていることです。仮にハンクが生きていた場合、ロックンロール黄金時代は1年遅かったか、1年早かったかもしれません。

 

1952年サドルメンコメッツと名を変えます。そして、翌年。ロックンロール史上初の白人ヒットが生まれます。「Crazy Man Crazy」が全米チャートで12位を記録します。

 

Crazy Man Crazy

Crazy Man Crazy

  • Bill Haley & The Saddlemen
  • ロック
  • ¥200

 

あれ?と思いました?

 

Rock Around The Clock」は世界初のロックンロールのヒット曲ではないんです。

 

しかも、コメッツ自身が世界初のロックンロールのヒット曲を持っていたのです。

 

1954年には代表曲の「Shake,Rattle And Roll」(ジョーターナーのカバー)をヒットさせていますが、実はこの曲・・・コメッツのシングルとしては「Rock Around The Clock」より後に出された曲です。

 

事を説明すると、当初「Rock Around The Clock」は売れなかったんです。全くとは言いませんが、コメッツでは他の曲の方が売れていました。

 

では何故「Rock Around The Clock」は世界にロックンロールの大ブームを巻き起こした源流として崇められているのか。

 

それは、音楽史上初めてビルボードチャートの首位を射止めたロックンロール・レコードだったからです。

 

若者向けの映画「暴力教室」で使用された事で若い世代の圧倒的な指示が生まれヒットに結びついた形は、ヒットチャートが前時代的な健全な音楽の時代から、ロックンロールを始めとする若者向け音楽の時代へ移り変わる時代の象徴となりました。

 

皮肉なことにビル・ヘイリー自身は若者のアイコンとはなり得ませんでした。

 

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キューピーヘアーにおじさんスーツ。暴力教室から入った若者は実物のビルを見て、ダサいと思ったのかはさておき。同時期に反抗的なイメージがあったエルヴィス・プレスリーがブレイクした事により、この曲以上のヒット作を生み出すことも出来ず、1957年頃から一線から退きました。

 

しかし、彼こそがロックンロールの可能性を世間に説いた初めての人物である事に変わりはありません。

 

「Rock Around The Clock」

Bill Haley & His Comets

(We're Gonna) Rock Around the Clock

(We're Gonna) Rock Around the Clock

  • ビル・ヘイリーと彼のコメッツ
  • ロック
  • ¥250

 

20th Century Masters: The Best Of Bill Haley & His Comets (Millennium Collection)

20th Century Masters: The Best Of Bill Haley & His Comets (Millennium Collection)

 

 

 

ノスタルジー

理由はわからないけど、心が締め付けられる音楽ってないですか?

 

私の場合は大瀧詠一さんの「LONG VACATION」以後のソロ楽曲に、それを感じます。

 

メッセージに惹かれるというよりも、楽曲に惹かれるんですよね。

 

60年代のウォール・オブ・サウンドを忠実に再現した音はノスタルジーに溢れています。

 

それは決して、その時代を経験しているから感じるものではなく、誰もが青春時代に感じる甘酸っぱさをシュミレーションしているノスタルジーだからです。

 

さて、先に誰もが感じると書いていますが、誰もが想像できると書き換えた方がいいかもしれません。

 

大瀧サウンドは、SNS時代の私たちには、もう経験出来ない甘酸っぱさで溢れているのでないでしょうか。小説の中でしか味わえない物語を表現した音楽に心がむず痒くなるんです。

 

それはファンタジーであり、ノスタルジックであり、リアリスティックな青春なのです。

 

はつぴいえんどを脱退した大瀧詠一さんは、70年代をCM音楽の作曲家、作詞家として過ごします。3枚のアルバム(いずれも名盤)を発表するもののオリコン最高位は41位と不発。76年にナイアガラトライアングルを結成し、アルバムを発表しますが、それも中ヒット止まり。

 

夢で逢えたら」「福生ストラット」「ナイアガラ音頭」などの名曲を作り出すものの、大瀧詠一さんにとって、70年代は不遇の時代でした。

 

80年代に入り、それまでの作風からオールディーズ成分を抜き出し製作したのが「A LONG VACATION」でした。

 

世間ではシャネルズ(現ラッツ&スター)横浜銀蝿が若者たちに人気を博しており、ドゥーワップ、ロカビリーが再熱している時期でした。

 

世界的にはジョン・レノン死去によるオールディーズブームが起きていました。

 

そんな時期にリリースされたアルバムはオリコン最高位2位と空前の大ヒット。このアルバムをきっかけに日本でもオールディーズブームが巻き起こりました。

 

特にチェッカーズはオールディーズ的な音楽で80年代中盤に、日本でトップアイドルの座を手に入れました。

 

また80年代にも作曲家として、松田聖子風立ちぬ太田裕美「さらばシベリア鉄道」森進一「冬のリヴィエラ」と、ジャンルを超えて音楽を提供しています。

 

それら全てに共通するのは先で説明したノスタルジーです。1997年の「幸せな結末」は、そんなノスタルジーの終着点だと、私は考えています。

 

大瀧詠一「幸せな結末」

幸せな結末

幸せな結末

  • 大滝 詠一
  • J-Pop
  • ¥250

 

Best Always

Best Always

 

 

 

今日も寒い

昨日、福岡の学校の体育祭中に、低体温症で数人が搬送されたというニュースを聞きました。

 

ほんの数日前までは暑い暑いと言っていたのに、今日は寒い寒いと言っています。

 

最近の地球はどうにかしてます。

 

ところで最近、春と秋が短くなってる又はそう感じる人が多いそうです。私は毎年、春夏秋冬を感じているのですが・・。

 

「春夏秋冬」というタイトルの曲は色々ありますよね。

 

泉谷しげるは勿論、Steady & Co.も懐かしいですね。Hillcrymeはヒットしました。

 

でも、この人達の「春夏秋冬」は知らない人もいると思います。

 

レミオロメンの「春夏秋冬」です。

2005年にリリースされた「ether」からの曲でシングルカットはされていませんし、「3月9日」が収録されているアルバムです。

 

春夏秋冬

春夏秋冬

 

ether[エーテル]

ether[エーテル]

 

 

 

ジャズとロック

ジャズ・・・

世界初のダンスミュージックと言われるラグタイムから発展した音楽です。

 

アメリカでは1920年代をJAZZ AGEと呼ぶ程、ロック以前に世界中で聴かれていました。

日本ではジャヅと紹介され、1920年代後半から戦中の時期を除き人気のジャンルでした。

 

しかし、現代でジャズに興味があると言うと、少しマニアックな印象があり、ポピュラーなものとは相反するイメージがあります。

 

実はロックが表舞台に登場する以前は、ジャズがポピュラー音楽の最たるもので、現代で思われるような知的なイメージはありませんでした。むしろ、野蛮で暴力的。ロックに近いポジションにいたんですね。

 

実際、戦前に音楽学校の先生にジャヅを聴いているのをバレたときは叱責されたとの証言もあります。

 

ジャズの発展はロックとは違い、おおよそ10年間隔で新しいスタイルが生まれているようです。

 

このスタイルというのが肝で、ジャズの発展はスタイルの変化に終始しています。

 

1920年ジャズ

1930年代 スウィング・ジャズ

1940年代 ビバップ

1950年代 ハード・バップ

1960年代 フリー・ジャズ

1970年代 フュージョン

1980年代 コンテンポラリー

1990年代 スムース・ジャズ

 

こんな感じです。実際はアフロキューバンだとか、ボサノヴァだとか、あるんですけど、大きな枠として捉えてください。

 

ロックとジャズが接近したのが1960年代後半から1970年代です。

 

ゲイリー・バートン・カルテットのDuster('67)

マイルス・ディヴィスのBitches Brew('70)

ハービー・ハンコックのFat Albert Rotunda('69)

 

上記の作品はジャズとロックの最初期のクロスオーヴァーだと言われています。ジャズ側からロックにアプローチした作品群ですね。

 

また、当時はサイケデリックプログレに移行する時期とも重なり、ロック側からジャズを取り入れる事もありました。

 

その流れから出てきたバンド群が非常に複雑な構成な音楽を創り出し、それに反発する形でパンクが生まれます。

 

歴史はピースの如く、何かが抜けたら形にならないんです。パンクの件もそうですが、ロックンロール自体もジャズが前時代に存在したお陰で新しい音楽、また激しく暴力的(ジャズより)な音楽として世界に衝撃を与え、一時代を築き上げました。

 

今日はジャズの古典でロックンロールにも影響を与えている曲を紹介します。

 

In The Mood - glenn miller

 

In the Mood

In the Mood

 

 

 

ブルースとは

前回、日本のブルースバンドとして憂歌団を挙げましたが、そもそものブルースについて説明してませんでしたね。

 

今日はブルースについて説明します。

 

ブルースの起源については、おおよその事しか分かっていませんが、19世紀又はそれ以前に黒人奴隷が歌っていたワーク・ソングが起源だと言われています。

 

BLUESのBLUEとは、悲しみを表す気持ちの色の事で、Feel So Blueと言えば分かりやすいでしょうか。当時の黒人の地位は現在では考えられない程低く、悲しみを帯びていました。

 

白人がブルースを知るのは20世紀に入り、カントリーミュージシャンがブルースを取り上げるのを待たなければなりません。

 

例を挙げると1930年のBlue Yodel No.9がその走りでしょうか。ジミー・ロジャースとルイ・アームストロングが共演したこの作品は、当時大ヒットし、白人と黒人の共演という可能性を見出しました。カントリー・ブルースを得意としたジミー・ロジャースはロックンロール以前の偉人として語り継がれている人物です。

 

その後、ハンク・ウィリアムスMove It On Overをリリース。当時流行していたヒルビリー・ブギにカントリー・ブルースの色を足して、ロカビリーの原型となります。

 

ブルースの音楽的な特徴として、ブルース・コードと言うものがあり、12小節からからなる事から、12バー・ブルースと呼ばれる事もあります。

 

基本のコードとして、Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅰがあり、これにアレンジを加える事によって、アーティストに個性が出てくるんです。

 

ブルースは40年代にリズム・アンド・ブルースに発展して、50年代にはロックンロールが生まれます。黒人奴隷の悲しみは50年の時を経て報われる訳ですね。

 

今日は2曲紹介します。

Blue Yodel No.9 - Jimmy Rodgers and louis Armstrong

Blue Yodel No. 9

Blue Yodel No. 9

  • ジミー・ロジャース
  • カントリー
  • ¥150

 

Blue Yodels

Blue Yodels

 

Move It On Over - Hank Williams

 

Move It On Over

Move It On Over

 

 





 



 

日本のブルース

日本のブルースと聞いて、あなたはどんなアーティストを思い浮かべますか?

 

クール・ファイブ

森進一

青江三奈

淡谷のり子

 

上記のアーティストが歌っているのは

ムード歌謡です。

 

ムード歌謡とは、初期にはラテン音楽の影響下にある音楽に日本語の歌詞を載せた日本独自のジャンルです。

 

では代表的な日本のブルースを挙げていきましょう。

 

ザ・ゴールデン・カップス

パワーハウス

憂歌団

サウス・トゥ・サウス

 

前述と同数挙げると、こんな感じでしょうか。

 

カップスはGS、パワーハウスはニューロック時代のバンドで、共に轟音ブルース・ロックを奏でていました。LIVE盤も出ていますので、チェックしてみてください。

 

憂歌団サウス・トゥ・サウスは共に70年代中盤の関西出身バンドでブルース・ロックというよりはロックンロール以前のブルースリズム・アンド・ブルースを演奏していました。

 

では、何故日本ではブルース=ムード歌謡と思われやすいのか。その理由はムード歌謡の多くにブルースというタイトルが付けられていたから・・というのも一理あります。

 

しかし、当時(70年代前半)のブルースと付けられた音楽を見てみると、フォーク系のアーティストにも多いんですよね。

 

三谷ブルース 岡林信康

夜汽車のブルース 遠藤賢司

やせっぽちのブルース 吉田拓郎

ヨコスカ・ブルース 南正人

 

上記の通り、ムード歌謡に限らずブルースという語は使われていたのですが、それをブルースと紹介する事が少なかった(ムード歌謡、フォーク、ニューロックとして紹介されていた)のが理由です。決してムード歌謡だけのせいではありません。

 

ちなみに憂歌団サウス・トゥ・サウスは当時からブルースと紹介されていました。しかし、人気が関西圏止まりであったため、ブルースバンドとして、全国圏に知られるには時間を有しました。

 

そんな中、ブルースバンドとして、全国的にブレイクしたのが、元パワーハウスの柳ジョージ率いるレイニーウッドです・・が、後進が生まれませんでした・・。

 

同時期にデビューしたサザンオールスターズ 桑田佳祐のお笑い芸人発言もあり、色物と見られている内に、ブルースを演奏する事が少なくなりました。

 

80年代に入ると、パンク、ニューウェーブの時代になり、日本ではBOOWY由来のビートロック全盛となり、ブルースは過去の物とされてしまいました。

 

しかし、80年代後半に憂歌団が全国区に。キラキラしたロックが飽きられてきていた90年代前半にブルースを演奏する若手バンドも復活してきました。

 

メディアが彼らをブルースバンドとして紹介していれば、正しいブルース像が根付いていたのかもしれませんね。

 

今日は憂歌団のコミックブルースをお送りします。

 

「おそうじオバちゃん」

おそうじオバチャン

おそうじオバチャン

 

憂歌団

憂歌団

 

 



雷やべー

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こちらは福岡なんですけど、昨日から雷がすごいです。夕立とかじゃなく、昼からゴロゴロピカピカ鳴ってます汗

 

例年この調子だと、イヤホンは手放せませんね。仕事に集中するためにイヤホンをしてます。

 

去年もこんなに世紀末な感じでしたっけ?関東はもっと凄いんでしょうけど。

 

雨の日、それも雷鳴+音楽と言えば、皆さんは何を思い浮かべますか?ロック青年の私が思い浮かべるのは、グランド・ファンク・レイルロードのハートブレイカーですかね。伝説のライブがありまして、1971年の後楽園で行われたライブです。Grand Funk Railroad Live in Japan- Heartbreaker - YouTube雷鳴が鳴り響く中、轟音ブルース=ハード・ロックをかき鳴らす彼らに痺れます。

 

それでは今日のおススメです。

 

Grand Funk Railroad「Heart Breaker」

 

 

ライヴ・アルバム

ライヴ・アルバム